その手があったか、とは思わないで。
2010年 10月 27日命を断ったことがここ数日報道されている。クラスの人たちが全員
葬式に参列したって聞いて「そこは、親が断ってやれよ」と思ったけどね
(私は「葬式に来ても参列お断りしたい人リスト」が心の中にあります)。
さて、この「いじめられて死ぬ子ども」の報道、確かに現代の学校で
何が起きているかを知るために、なされるべき必然性はあるんだろうな、と
思うんだけど、逆に、リアルタイムで当事者な人…現実にいじめの渦中に
ある人がそういうテレビニュースなんかを見るのはどうなんだろう。
いじめられて亡くなった子が報じられ、いじめた側の非を論じられている
のを見て「自分が死ねば、今いじめてる人たちが悪いと証明できるのでは
ないか」と、死の誘惑を抱きやすくなったりしないんだろうか。
もっといえば「その手(命を断つ)があったか!」と、死を意識して
しまうというか。
なので、たとえば「怪我したら直す」「汚れたら洗う」みたいに「いじめ
られたらこうする」という、明確で安全な逃げ道を明らかに子どもたちに
用意してあげられているのか、ということが大事だと思う。
保健室登校とか一時はやったけど、そういう緊急避難的なものじゃなくて
学校がなんかまずかったらこっちにとりあえずいくべし、と決まってる場所が
あれば、こういういたましい子どもは減るんじゃないかな。
いじめられた→つらい、どうしよう→どうしたらいいかわからない…
という状態で長い間学校に我慢して通うことは、とても辛いと思うから。
なので、死ななくても学校にいかなくてもいいし転校してもいいし
それでも卒業できるし、みたいな現実的な安心を保証できるようなシステム
なんか構築できないのかなあ。
いじめはやめようってキャンペーンやっても絶対なくならないと思うし
だったら、起こってしまったときに傷ついた子をささっと救い上げてあげる
ことができたらね。もちろん親きょうだいがそうできればいいけど、身内
ゆえに厄介な場合もあるかもしれないし(今回亡くなった女の子は、母親が
外国人なのがからかわれたきっかけらしいし←だったら、ハーフでカワイイ
芸能人の名前を10人でも20人でも彼女に教えてあげて反撃マニュアル作って
あげたかったと思うわほんと)。
あと、加害者になろうとしている人にいいたいのは、自分の嫌いな人がいるのは
しょうがないけど
1)ほんとうにきらいなのか。それとも回りがきらってるから、嫌って当然、と
ジャッジしちゃってるのかを冷静に判断できているか
2)ほんとうに1対1で考えて嫌いだったら、嫌いな人に話しかけたり触ったり
できないはず。黙ってあいさつ以上のやりとりはクールにパスしとけ
以上ですね。嫌いな芸能人が出てるテレビ見て文句いうよりチャンネル回して
回避したほうが早いでしょってのと同じで。
とにかく、こういうどうしようもない不運ないじめの流れに押し流されて
10歳やそこらで死ぬなんてイヤだよやめようよってほんとに思います。
12歳のときにいじめられてたんだけどさーなんていいつつ新橋で美味しく
ビールを飲んでる大人はいっぱいいるぞ、ほんとだよ。
人生のピークが来る前にやめちゃうのはばかばかしい。それもいじめた奴の
せいでそうしちゃうなんて。
まあ、私みたいに40歳近くなっても「人生のピーク、まだ来てないきがする…」
といってるのは厚かましすぎるけれども(苦笑)。