重たいワインのような旨さと濃い読後感 「本格小説」水村美苗

「本格小説」(上)(下) 水村美苗

重たいワインは実はあまり得意じゃないけど、重たい小説は、たまに読みたい。
そんな気分のときに、久々に読みました「本格小説」。数年前に上司に
ハードカバーで借りたときは、次の日に返しに行って「ウソだろ?」と
「読まないで返した疑惑」をかけられそうになりましたが、明け方までずっと
読んでたんです。というわけで、久々に読むことにしました。
当時「昭和版嵐が丘ですねえ」なんて言ってたことを思い出しつつ。

完全な形の「嵐が丘」は読んだことがないのですが、演劇漫画「ガラスの仮面」と
子供向けのダイジェスト版を昔読んでいたので、どんな話かは一応知ってます。
ものすごくはしょって一言で強引に言えば、ある夜、ムーアの中にある
アーンショー家の屋敷に拾われてきたヒースクリフという孤独な少年が、
魂ごと、アーンショー家の娘・キャサリンを狂おしく求め続ける物語。
今だと「ストーカー小説?」と言われてしまうかもしれないくらい情熱的な
ヒースクリフは(だって、好きだった女の墓掘り出したりするんですよ、ハンパじゃ
ないですね)、怖いけど、こういう風に愛されてみたいかも、とどこかで思ってしまう
魅力的なキャラクターでもあったり。

この「本格小説」の、核になる話は「嵐が丘」によく似ています。そして、
ヒースクリフに相当する「東太郎」という男の人…はっきり言って萌えました(笑)。
人間らしい暮らしもさせてもらえず、シンデレラや小公女セーラの没落時代でも
もっとましだったろう、といういじめと労働の少年時代を送った太郎。まだ、
日本には「階級」というものがぼんやりながら存在していた、戦後の時代。
満州から引き揚げてきた、日本人と外国人の間の子供として(当時は
もちろん偏見があったのでこれだけで疎まれる理由は十分だった)太郎。
しかし、隣の家の少女・よう子と出会い
“至福と煉獄の間を生涯さまようことになる関係(原文より)”に陥っていきます。
よう子は、太郎にとって初めての友達で、そして、生涯の恋人になる女性です。
「嵐が丘」では、わがまま一杯のお姫様キャラの「キャシー」に相関図上では
相当する「よう子」ですが、彼女もまた、家族の中では少し浮いている存在で、
体が弱く美しくも無く、子供のころから孤独を知っている女の子でした。
この「名家からちょっとはぐれた子」というと、「源氏物語」の雲井雁を思い出します。
バイタリティは実はあるんだけど表に出て輝くチャンスをなかなか得られなくて
くすんでしまってる感じも。
そして、愛する女性を得るために成り上がっていく太郎の生き様は、どことなく
「グレート・ギャツビー」的でもあり。
太郎と陽子、そして、名家の息子でよう子たちとは親ぐるみで幼馴染(軽井沢で
毎年別荘ライフを共にするセレブ仲間なんです)の雅之もからんで、3人の関係は
複雑に脆く、だけどどこか神々しくもあるような不思議なものになっていく…。
これだけだと、この小説のタイトル「恋愛小説」でも「恋のピタゴラス」(ダサい…
売れないアイドルのデビュー曲みたい!)でも下手すると成り立っちゃいそう
なんですが(それくらいありそうな身分違い幼馴染悲恋物の王道なんです。
昼ドラの原作もいける?くらいの)そっちにはいかずに、あくまでも
「本格小説」たるゆえんは、その語られ方です。

物語が始まって200ページ以上(全体で1100ページを越える長い小説
なんだけど、それでも2割にはなる)は、太郎もよう子も、出て来ません。
なぜこの物語を「水村美苗」が書くことになったかということから、話は始まります。
落語でいうところの「枕」が本当に長い。初めて読んだときは、少し不思議でした。
でも、この前読み直したら(結構、かっぱえびせん的な没頭系小説なので、迂闊に
読み出すと1日潰れます、気まぐれで読み出すと大変!)、この「枕」も素敵です。
マトリョーシカっていうか、入れ子構造っていうのかな。
本家「嵐が丘」も、ネリーという女中さんが、ヒースクリフやキャサリンや、
二人を巡る人々の物語を行きずりの旅人に語る形でヒースクリフとキャサリンの
物語が浮き彫りになり、最後には、彼らの子や孫、生き残った人たちと旅人が
少し触れ合ったりして物語は終わります。
太郎とよう子の物語も、かつてよう子の家に仕えていた女中・土屋冨美子が
道に迷った青年・祐介に語るスタイルで進行します。その祐介が、“水村美苗”の
もとに現れて、富美子に聞いた話を語って伝えます。富美子→祐介→美苗、
という風にリレーで伝わっていくのです。美苗がこの話を聞くことになったのは、
かつて美苗の父が勤めていたメーカーのアメリカ支社で、太郎が働いていた
時期があったから。
父の部下として、家に出入りしていた太郎のことを、美苗も覚えていました。
少女時代の美苗の思い出の中で、太郎は、いくつかのエピソードとともに
強烈な印象を遺していたのです。そして大人になって再び渡米した美苗と姉の
奈苗(美しい名前の姉妹!)と太郎の再会も印象深いものだったし。といった
具合に、作家の実名が物語の中に組み込まれることで、あまりにも
物語的過ぎる、太郎の人生が本当の話のように思えてくるのですから、
この特殊な構成は大正解だったと思います。

これだけ盛りだくさんな小説が冗長どころかもう止まりません!っていうくらい
魅力にあふれているのは、ディテールまでしっかり描きこまれていたからだと
思います。
美苗の振り返る昔のニューヨークでの暮らし(1ドル360円の時代、海外赴任って
いうのは今より何倍も特殊なことで、美苗がアメリカのハイスクールで孤独感を
覚えたのも無理は無い)、ニューヨークで美苗に見せた太郎のふとした人間らしさと
痛々しさ、よう子の壊れている感じ、富美子の、平凡な自分の人生をうまく生きられ
ないでお手伝いに行った宇田川家などのセレブたちが気になってしまう感じ、
などなど、各登場人物の気持ちの微妙なところも書かれているし、
軽井沢での贅沢なランチやテニスなどの優雅な時間や、太郎の苦学っぷりの
迫力(ソーセージにお湯をかけて温めて齧って勉強してた、とか)とか、
描写の凄みも、物語に厚みを与えています。
精密機器のように破綻のない端整な(どこか、古めの翻訳小説のような少し
スクエアな日本語も、帰国子女の「美苗」には似合っている気がします)文体も。
そんなこんなで、戦後から昭和の前半についての時代のことも、セレブもNYも
軽井沢もよく知らない私だけど、1100ページ以上、ものすごい引力で、
読んだ、というより、読まされた感じです。
というわけで、時間があって、長いものを読みたくて、読んだあとにため息ついて
長い夢を見ていたような気持ちになりたいな~…つまり、思いっきり
「本格」的に読書したいときにはお薦めです。
そういう気合の入った「読むぞ!」に応えられるだけあって、ダテに
「本格小説」なんてタイトルじゃないなって納得、です。

あ~また、書きたいことの半分も書けない感じになっちゃいました。
凄い本を読むとそうなるんですよね。ちょっと悔しいけど(シロートなのになぜ?)
どこかで嬉しくなっちゃってる自分もいたりして。

昔、某シナリオスクールに通っていたころ(就職活動の敗北者となり
大学卒業後、バイトをしながら暗い野心を胸に(ウソ、なんか動いてないと
止まったらどこにもいけない気がしてたので)通ってました)、
「どんな物語にも、枷がないと!」みたいなことを習って、そのうえで
「今の時代、恋愛においての枷っていうのが設定しにくいから、
きわものみたいなドラマが増えちゃってる」っていう話も聞いたような
記憶があります。そういう意味で、軽井沢で夏いっぱい過ごすお嬢様と
物置小屋や納屋で寝泊りする少年が両方存在したこの時代・・・
格差(今みたいに、平等であるべき、とも誰も思わなくてそんなもんだ!と
諦めと納得ずくの)が当たり前の時代だからこそ、この2人の愛憎劇には
強烈な魅力が感じられたんだと思います。
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by tohko_h | 2006-08-08 14:57 | reading