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10月2日「徹子(と、徹弁護士)の部屋」③

〇少年時代〇
徹子さん「大変な勉強をなさって司法試験に通られたわけですが、
小さいころは遅刻が多かったと」
橋下先生「そうですね~もう小学校のときから学校に朝行くのがすごく
不得意で」
徹子さん「フフフ・・・不得意って(笑)」
橋下先生「なかなかいけないというか…母親も、ちゃんと時間通りに
行けとか言わなかったものですから。ある意味自由出勤というか
自由登校というか、自由に行かさせてもらいました」←オトナ社会ではそれを
重役出勤と呼ぶ(笑)
徹子さん「学校から呼び出しとかは?」
橋下先生「あったのかわからないですけれども、母は働くのに精一杯で
忙しかったので…14歳で今の父と再婚するまでは昼夜働いてましたから、
そこまでいちいち子どもにかまってられないってところもあったのかも
しれませんね」
徹子さん「でも、お母様、お行儀の面では凄く厳しかったとか」
橋下先生「そうですね。もうこれやったら怒られるなってことは
決まってまして…妹いじめるな、年上の人にはきちんとした態度をとれ
…まあ親も含めてなんですけど…あともうひとつは、まあその~
人を殺すなといいますか、そこまではっきり言ってないんですけども
要は、精神的に回復できないようなダメージを与えるな、身体的に
不自由とか出自のこととかで人を茶化すな…このみっつのことだけで
あとは何にも言われなかったですね。そのかわりまあ、ご飯のときには
母親の前では小学校6年までは正座で食べさせられてましたたし、
いまだにタメ口というか口のききかたにはものすごくうるさいですね」
徹子さん「タメ口ってみなさんおっしゃるけど、同輩って言うか敬語なし
ってこと?」
橋下先生「そうですね。それは絶対ありえないですし、母親の前では
いまだに(一人称)“僕”ですしね。普通大阪では語尾に「な」とか
つけるんですけどそれも絶対許されないし“僕ね”みたいな感じでした」
徹子さん「俺とかは?」
先生「あー“俺”なんて絶対ダメですね。僕はナントカでね、こうなんだよ、
みたいじゃないと」
徹子さん「のちに弁護士におなりになったときよかったんでは?」
橋下先生「弁護士になったというか、社会人になって本当にありがたくて、
特に年上の人に対する態度とか…挨拶についてうるさかったので
ホントにそれだけしか僕はできないんですけども、それをやってれば
なんとか世の中いろいろと…」
徹子さん「前は茶髪で異端児扱いだったそうですけれども、お行儀は
実はよかったと」
橋下先生「いや、行儀いいってわけじゃないんです。けれども、挨拶
してるだけなんですけども、ホントにそれを徹底して育ててくれたのは
非常にありがたかったです」
徹子さん「昔は小さい妹さんとふたりでお留守番していらっしゃって
ガスとか電気とかものすごくご自分できちんとおやりだったのよね」
橋下先生「小学校1年2年のときから母親が夜も働いていたので、
4歳下の妹と2人きりで…今考えると、うちの小学校2年の子どもを
置いて夜出かけるってことはできないんですけども、当時はもう
そうせざるをえないので、自分の身を守るためにも戸締りと火のもとの
点検は毎日やってましたね」
徹子さん「そういう経験は、弁護士というお仕事におつきになると
いろいろな人の生活が判るってことでよかったかもしれないですね」
橋下先生「そうですね、そういう経験が非常に生きてます」
徹子さん「学校にちゃんと行ってなかったのに弁護士になられたのは
すごいですよね」
橋下先生「ホント、これはもう紆余曲折いろいろありまして、同級生
含めてなんでこうなったのかみんなに不思議に思われてますんで(笑)」
by tohko_h | 2006-10-14 07:48 | HashimotoGovernment