新婚卒業。そして次は…長いひとりごと。

妻という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの 俵万智 

「チョコレート革命」という、不倫をテーマにした歌集の中で、個人的にいちばん
インパクトがあった歌。これはもともと、ある歌会(「短歌パラダイス」岩波書店に詳しく
書いてあります)で、俵さんが「ねたまし」というお題に対して提出した歌。
妻のいる男性に恋している女性が「一緒にお墓参りに行くみたいなそういう
のんきな日常ラインの時間を一緒に過ごしてる奥さん」をねたましく思う、という内容。
この歌がうまいのは「たとえば墓参に」である。これが「たとえばファミレスで
ごはん」とか「たとえば一緒に車で買い物」だと、面白くないんですよね。
「墓参」という、シーズン的なものもあり(お盆かお彼岸でしょうね、たぶん)、
そして冠婚葬祭の延長線上にある、日常の中のちょっとした非日常。
そこを「ねたまし」というのが、絶妙のさじかげん。

結婚して1年目のころに「墓参」ではないけど、夫の身内の葬儀に出る機会があった。
結婚式を挙げてなかったので、親戚の皆さんに挨拶もついでにする、みたいな
雰囲気になって、もう、冠婚葬祭どれやねん!状態で、知らない大人に囲まれて
緊張して彼の隣にいるときにふとこの歌を思い出した。
「妻という安易」ってこういうこと? 確かに公の場で「僕の嫁です」と言われることは
社会的にも認められたカップルってやつだからこそなのかもですが、しんどい…。
彼の隣で喪服を着て親類としゃべったり、一緒にローンを払っていくということは
ずいぶん恋愛と遠いところに来ちゃってるなあ、みたいな。当時まだ26歳だったので
それが少し寂しかった(学生時代モテなかったので恋愛経験が少なかったので
そういう「思い残し感」があったのかも(笑))。彼の妻でいることを妬む人は
もしかしたらいるかもしれないけど、こうして社会的なイベントを義務として
こなす時間は別に羨ましくないだろう、と思っていた。

さて、そして、現在結婚7年目の年もあと少しで終わろうとしているんですが…
この前、夫が、仕事がらみで葬儀に出ることになった。バタバタと喪服を着て
ネクタイ締めて、携帯持って、黒い靴下引っ張り出して履いて…玄関先で
「これ、持っていったら?」と数珠を渡してあげて、なんとなく「ねー、ちゃんと
古いお札で用意した? お香典」と声をかけると、彼は「あ! しまった」と
慌てた。お香典自体をまだ用意してなかったらしい。だけど出発時間は
迫ってる。「コンビニでお香典袋買って薄墨でちゃんと名前書くんだよ」と
言うと「ありがとー、たまには役に立つね。言ってもらって助かった」とバタバタと
慌しく小走りで出かけていった。
それを見送ったときに、ふと、久々にこの歌を思い出した。
まさに、今の私の行為は「連れ立って墓参」に近い、日常の中の非日常を
一瞬共有した、みたいなことだったんだけど。
新婚のころは、少し重いな、かったるいな、と思っていたその感じが、不思議と
心地よかったんだよねー。充実感というか「ああ、結婚してるんだ」みたいな。

すわりが悪くて落ち着きのない感じを気に入ってるのも本当だけど、
所帯じみたり生活っぽくなっていく時間もまた、私は好きみたいです。

なにかの本で「結婚してから3年くらいまでを新婚という」と書いてあって、
ああ、もうずいぶん遠い所に来たなーってそれを過ぎたときはさびしかったけど
今は、その次のベテランっぽさをかもし出していけたらな、と思います。
若葉マークの次は充実の実りの果実マークなんかつけたつもりで。

ちなみにこの歌、ずっと「妻という安寧」と間違って覚えていました…
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by tohko_h | 2006-11-28 23:49 | drops of my days