芸人気取りじゃなくて、芸人ごっこでいこう!

にいがた発・ワールドニュース:「いじる」は「いじめ」 /新潟

「いじめられてはいなかったが、いじられキャラで、よくからかわれていた」。
先月、自殺した神林村の男子中学生について、同級生が、こう語っていた。
自殺の原因は現在調査中だが、「いじられキャラ」という言葉が引っかかった。
「いじられキャラ」はテレビでは人気者だ。芸人は「目立ってなんぼ」の世界。
目立てば出演が増え、収入も増える。だから芸人は、あえて「いじられ」役を
志願する。
だが、これは芸人の間の話。目立っても何の利益もない、目立ちたくもないのに、
周囲から勝手に「いじられキャラ」扱いされたら……本人には苦痛しか残らない。
「いじる」は「(必要もないのに)さわったり、動かしたりする」こと。さらに
「弱い者をいじめる。困らせる」こと(三省堂「大辞林」)。「いじめ」は悪い、と
いうことは誰でも知っている。その事実や罪悪感を隠すために、「いじる」という
言葉が使われているのではないか。だが「いじる」は「いじめる」と同義語である。

「いじめじゃない。いじられキャラの子をいじっただけ」。子供はそう説明するかも
しれない。だが「いじられ」た子供が苦痛を感じていたら、それは「いじめ」。
そんな時、大人はこう注意すべきだと思う。
「言葉でごまかしてはだめ。相手の立場で考えれば分かるはずだ」
(新潟支局長、柴田朗)=毎週月曜に掲載 12月4日朝刊より(毎日新聞)


いじめ問題に限らず、困ったいじりたがりっているものである。
私も、ぼーっとしてるところがあるので、学生時代は特に突っ込まれ属性みたいな
イメージがいつのまにかついていて、オチ要員みたいだった時期がある。
私は正直お調子者だし、つっこまれて「うう、おいしい~」と思ったことも
あるんだけど、それは、こっちが「ここカモン!」とサインを出したところに
タッチしてくれたからそう感じられるのです。たとえばこのブログだったら、
私のミーハーぶり、旦那との精神的SMプレイぶり、意地汚さ、物欲など
(・・・本当に自分がすさまじいダメ女に思えてきたが(笑))しょーもない話を
だらだら書いているだけなのに、とても愉快なコメントをいただいて、なんか
楽しいぞ!となることがとても多くて普段から感謝の気持ちでいっぱいです
(もちろんコメントのみならず読んで下さっている人にも、ありがとうございます)。
こう書いてしまうといやらしくて物欲しげ、と誤解を招いてしまいそうですが
つまり、コメント欄をOPENにしてバカ話を書いているので、ツッコミ、いじりを
いただけるというのは、もう、プレゼントみたいなもので、嬉しいし楽しみ、
ということなんですよね。

それに対して。
例えば、飲み会に行ったとしましょう。
「会社の人間関係で疲れてて・・・転職とか考えるけど、年がねー」とか
「夫がこの前の健康診断にひっかかっちゃって」と、まあ、シリアスな話に
なったときに「とにかくトウコで落とせ!」と心に固く決めちゃってる人がいると
「トウコちゃんの同僚の方が疲れちゃうんじゃないの、ハハハ」とか
「トウコちゃんと暮らしてるから旦那さんも体調崩すんちがうの?」みたいに
芸人気取りで突っ込んできたり、されるんです。笑い話系ではない私の話を
ネタとして拾っちゃう人が・・・「されど、女」さんブログ風に言うと
「何を言っても笑われて終わる、女」だったんですねー大学時代の友人間で。
これは、なかなか大変です。仕事で鬱っぽくなって1ヶ月以上お休みしたときや
夫の仕事が調子悪くていろいろピンチ!などなど、本当はみのもんたに
相談したくなるくらい切実なときも(笑)、そうやって落とされたらやっぱり
いい気はしません。他の友達のシリアスな悩みトークと違い私の場合は
全部笑いかよ!みたいな。というわけで、勝手に「この人はいつでも
いじってオッケー」というのは、なんだかなーと思うわけです。
「親しみやすく思ってる印だよ」とそんなので友情をアピールされても、ねえ。
また、そういう人に限って、自分の話は美辞麗句ばっかり並べたりするんだ
これが(笑)。←島田紳助さんをはじめ、ツッコミが上手なプロの芸人さんの
場合、ちゃんと落とすところでは自分をいちばん落としたりしてバランスを
取ってるし、いじられた人にもうまみ(トークが弾む、キャラを売れる、などなど)が
あるので、それはまた全然違うビジネスの話なわけで、教室やオフィスや
普通の飲み屋だと、下手な芸人気取りで突っ込んでる人(突っ込まれてる人を
困らせるような)っていうのは、なんだかなーです。
自分が面白いことをして笑いをとろう、とアクティブに芸人ごっこをするのは
いいと思うんだけど、人で笑いを取るツッコミ芸人気取りは素人には危険。
てか、ムリがある。

この新潟の事件だったかどうかは記憶があいまいなのですが、担任込みの
いじめで命を絶ってしまった男の子も、先生が彼をいじりやすかった、という
ことで、教室でのトークで彼をいじってるうちにクラスメートも「あいつは
いじってなんぼ」とカンチガイして泥沼化した、みたいな流れだったと
思います。確かに悪意ではないのかもしれない。もしかしたら、親しみの
表れかもしれない。でもいじられる人がいつも面白おかしくかまわれたい、
と思ってることはまず無いはず。たまにならいいんだけど、いつだって
自分オチっていうのは、正直しんどい。自分ばっかりなぜ?ってなんか
物悲しい気持ちになってくると思う。

教室内のいじり問題を書いたこんな小説が、ちょっと前に出版されました。
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「りはめより100倍恐ろしい」 木堂椎
現役男子高校生が携帯で
書いた小説!ということでも
話題になった、第1回
野生時代青春文学大賞
(角川書店主催)の受賞作。
いじ「り」はいじ「め」よりも
恐ろしい、というタイトル。
中学時代をいじられキャラで
過ごした主人公男子が
高校ではいじる側として
立ち回ろうとするが…という
セルフプロデュース話。

後味の悪い「野ブタをプロデュース」みたいな感じで、最近の男子高校生って
こうなの?みんなじゃないよね?と、だいぶ作者や登場人物たちより
年上の自分は読んでいてとてもしんどかったのですが(文章が稚拙で
読みずらくて疲れたというのもあるけど)、芸人気取りで同級生をいじる、
みたいなことは、大学に入ってもあったし、女子同士だと別の意味でも
しんどいところでした(面白い子、といわれると、「いいお友達要員」として
女子枠をはずれかけるリスクとか・・・)。

というわけで、数年前までは「面白い」と言われたりあれこれ
突っ込まれることが苦手だったのですが・・・
最近、自分の意識はそこからまた動いてるな、変わったな、と
思うことがあります。
たとえば作家さんとかと打ち合わせをしているとき、私の雑談で
「○○さんっておもしろいですね」といわれて嬉しくなってる自分。
たとえば人見知りのはずなのに初対面の方ばかりのオフ会に
呼んでもらって張り切ってお出かけして「おもしろいね」と突っ込まれて
幸せ気分でビールが進む自分。
長年のいじられ恐怖症(大学時代ふたりほどホントにしつこくオチを
私でつけないと気がすまない人たちがいたからかなり深かったかも)、
おもしろい子といわれたくない病は、気づくと治ってました。
おそらく、いじってくれる相手への私の感情の問題が大きかったのね、
ということも判ってきました。

というわけで、20歳くらいからのコンプレックスがすっかり消えてた!と
今年、ブログを通しての出会いなどを通じてしみじみ思いました。ああ、
やっぱりたくさんブログを通じて愛あるツッコミ、いじりをいただいたことに
感謝です! もちろん、ヘビー級の愚痴への温かな言葉にも。

なんかまとまらなくなってきたけど、ブログでコンプレックスが無くなったってた
ことに最近ビックリしたのをこの記事で思い出したので強引に長々と
書いてみました。
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by tohko_h | 2006-12-04 13:40 | drops of my days