本を出すということ。

友人が去年自費出版した小説、書店で見つからなかったので
アマゾンでポチっと購入したところで新風舎倒産のニュース

友人が出したところは別の会社なんだけどね。

今朝のワイドショーで紹介されていた新風舎のやりくちはかなり
サギに近い、というのはよくわかった。とにかくろくに原稿を読みもせず、
「才能がある」「大賞作に限りない近い次点だから、とりあえず本に
してしまって書店に出して才能を世間に問うたほうがいい」などなど、
陳腐なドラマのセリフみたいな甘いことを言う。
それでお金を著者に出させて本を作るが、できてみたものの
あまり流通しないじゃん(主要な書店に本を撒く、と
言ってくれたのに!)と不審がられて…みたいなことが
多発しているらしい。

確かに版元としての誠意のなさにもあきれ返るんだけど…うーん。
一発持ち込んだ原稿が「才能ある!」って言われてそのまま
すぐに本になってあちこちの書店に並ぶって…そんな
ファンタジックなことを信じてお金を出しちゃう著者も、そのー、
あんまり賢いとは言いがたいような。
最初から「一生の記念に」と、本を作るだけで満足する
本当の意味の自費出版(同人誌感覚で)ならいいけど、
書店に並んで才能を評価される、という夢を見せるこの会社も
見ちゃう著者もなんだかなーと思うのだ。

自分の書いたものがそんな簡単に印刷されて本屋に並んで
人に買われて作家になれる、なんて思っちゃうのって
どうなのかしら。ずいぶん皆さん自信家??なんて
意地の悪いことを思うのだ。というか、本を出すということに
敬意っていうか、おそれっていうか「すごいこと」みたいな
気持ちが無いのかなー(作家志望のくせに)と個人的には疑問。
自分が吉本ばななや金原ひとみと同等の即戦力的(すぐに
ある程度本が売れる)才能の持ち主だと思っちゃってるとしたら、
なんだかね。

実際に、友人が書いた小説も読んだ。友人として彼女の人柄や
育ってきた環境についてある程度予備知識がある私が読んでも
とても分かりにくかった。文章がね、純粋に。文法が変とか
話が破綻してるわけじゃないけど、読みずらかったのです、とにかく。
自分を表現する勉強はたくさんしてきたあとがみえるけど、
読ませる訓練がなされてないなーという印象。
で、自分だったら、と考える。
未熟で完成度の低い小説が自分の名前で書店に並んだら??
お金もらったとしても恥ずかしい気がする。
こんなレベルの書き手として世に出たくないし出版物として
残るなんて絶対にイヤだと思う。
たぶん、私のほうが古い人間で、出版文化にたいしてヘンな
リスペクトの念とか思い入れが強いのだろう(何百冊も仕事で本を
作って来たのにおかしいね。いや、真剣な著者たちとつきあって
ますます、本を出すということの意味を深く重く考えるようになったの
かもしれない)。小説が書けたらいろいろな人に読んでもらいたいから
本にしよう、というほうが素直なんだよね、たぶん。ただ、私は
すぐに本を出して作家になれますよ、なんて仮に誰かに言われても
信じられないし、才能、なんて曖昧な言葉を言われても困って
しまうと思うのだ。

何が言いたいかというと、自分の書いた文章が人にお金を出して
読んでもらえる値打ちがあるかどうか、真面目に考えているのかな、
こういうところで本出しちゃう人って、ということです。
実際、友人の自費出版についても、これが本を送って来て
「読んでね」だったら「おめでとー」で済むと思うんだけど、
「買ってね」と手紙とメールで頼まれたので買って、彼女に
印税を1冊分払ったわけです。これが、一緒にお茶飲みに行って
500円のコーヒーでも800円のケーキでもおごるんだったら
抵抗ないんだけど、完成度の低い小説に払った100円ちょっとの
印税のほうが、ひっかかっちゃうんだよなあ。義理で顔を出した
つまらない飲み会の費用みたいな後悔を感じてしまったのでした。
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by tohko_h | 2008-01-11 14:17 | drops of my days