豪雨後日談と、ブログに何を書くか書かないかで考えたこと。

※今朝から謝ってばかりの私。コンビニや会社でお金を払う用が
できるたびに「お札が濡れていてすみません・・・」と謝罪しつつ
ちゃっかりお札を減らしていく(なので小銭だらけなんですよ今)。

kozouさんのブログで「自分は見て面白かった、読んでよかったと
思う映画や本のことしかブログには書かないようにしている」という
一文を見かけて、一瞬、一時値段までつけて、壁本(読み終わって
壁にぶん投げてしまいたいほどつまんなかった本のこと)とか
平気で書いていた自分を多少、あら恥ずかしい?と思った。
で、一晩経って感じたんだけどおそらく「この本を読んでいい、と
思う感性の人間だと思われたくない」みたいな、自意識が
嫌いな本のレビューもアップしてしまう理由かも、私の場合、と思った。
つまり、「こんなつまらない本を読んで面白がる人だと思われたくない。
これを嫌がるくらいの感性はありますよ」と言いたいわけです。
特に小説とかだと文体の好みがあるわけで、こういうものを好む、と
いうこと以上に、もしかしたら、こういうものを嫌う、ということを
語ることによって、自分の生理的なレベルの癖をなんとなーく
自己紹介したがっているんだと思う、多分。

つまり、こういうのが好き、とか、こういうのが嫌い、と書くことで
「私はこういう人間です」と言いたがっているような気がする。
そして、本とか映画とかドラマの消費のされ方として私は
たぶんアリだと思ってるのだ。

その人を知りたい、という気持ちと、その人の好き嫌いを知りたい、という
気持ちが私の場合強いのかも、もともと。実際、友人や好きなブロガーさんの
好きなものを知りたいのと同様、嫌いなものについての話も興味深いと
常に思っている。たとえそれが自分が愛してやまないものだったとしても
(だから「三浦しをん嫌いだよー」ともし誰かに言われても、その人を
嫌いになったり、合わないな~と思ったりはしない。なるほど、ああいう
文体や雰囲気を嫌う人なんだ、と理解の手がかりになっても。橋下知事を
嫌いな人とだって、友達にはなれるのだ。当たり前だけど)。

なので、kozouさんが「面白いと思ったものだけを取り上げる」という
ポリシーは、彼のキャラクターの一部からそうしているわけで、なるほど、
愛や作り手への敬意を大事にされてる方なのだなあ、と改めて感じた。
私にそういうものがないわけではないけれど、受け手としての自分が
どう感じたかを表現したい気持ちが勝っちゃってるんでしょうね、きっと。
地味な自己顕示欲の発露というか・・・

簡単に言うと、私がこのブログで「人に道を聞かれたりバス停とかで
突然話しかけられるのが苦手」と書くのと一緒の意識で「この本は
面白いと思えなかった」と書いているのです。自己愛が強いといえば
そんな気もする・・・(愛されベタな分ヘンな方向に肥大している恐れ大)。

※kozouさんの記事のメインテーマはそこじゃなくて、私が勝手に
感じたところは、幕の内弁当の漬物の味がユニークで驚いた、レベルの
枝葉末節ぽいところですよね。いろいろ失礼しました>kozouさん。
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by tohko_h | 2008-07-30 11:27 | drops of my days