人気ブログランキング |

「ユリゴコロ」沼田まほかる

a0079948_23302674.jpg
「ユリゴコロ」 沼田まほかる
この本、書店でちょっと気になってたんだけど
帯のあおりが怖すぎて、手にとれずにいました。
「私は人を殺すときだけ、世界とつながれるのです。」
だけど、ミステリー小説仲間の上司(偉大なる編集者)
が「これ、読んだ?」(※まだ読んでないかたしかめて
貸して下さるのです)と持ってきて下さると嬉しくて
怖くてもいいや、ととページをめくりだしました。


物語は、母が事故で死に、父も病がちで、恋人が失踪したというとても
辛い状況にある主人公の男性が、実家で、あるノートを見つけるところから
始まります。そのノートのなかには、幼いころから、人を殺したい気持ちと
一緒に育ったというある人間の告白が書かれていました。読んでいく
うちに、その書き手や登場人物が誰なのかを想像し、主人公は怯えつつも
読むことをやめられないのです。この小説を読むことをやめられなく
なっている読者とここで完全一致してるわけですね。それって、ちゃんと
その手記部分の生々しさが描き切れてるからこそ、そうやって読めるわけで。
読ませ力のある小説です。

さて、帯にある「人を殺すときだけ、世界とつながれるのです。」という
フレーズ。これを逆にいいかえると、どうなるでしょう?
「人を殺していないときは、世界とつながれません。」と、なりますね。
まあ、いくら殺人に関心があり、行動力があったとしても、四六時中
誰かを殺すことは、現実問題として、不可能です。ということは、
この人物は、普段は、世界とつながれないわけです。
…と考えると、殺人はさておき、なんか、共感ポイントが見えてきちゃいます。
そういう意味で「怖い」んですよ、これ。

手記の書き手が、会社員だったころ。
辛い事があった同僚を、ほかの会社の仲間たちが囲んで慰め、励まし、
泣く姿を見て「慰める側も慰められる側も、それが一種の演技である
事をちゃんと知っていることが変である。どうしてそんなに気味悪い
ごっこ遊びみたいなことをするのかよくわかりません」と思いながら
ハンカチをあてて泣いてるふりでごまかしていた、というくだり。

この感覚、自分の中にあるのです。
人の痛みってなかなか分かりません。だからこそ分かろうとする気持ちが
尊くて、人間っていいじゃん、というポイントなんだと思います。想像力は
人間が持ちうるとても美しい力だと言うのが私の持論だし(だから、
想像力が少なめで、人を天然で傷つけるようなタイプはとても苦手)。

しかし、想像をすることもなしに、脊髄反射的に+集団心理的にわーって
「わかってるよ」っていうプレイに突入しちゃうのはたしかにグロテスク。
「私はわかってないんだけどなー」と、そういう場の雰囲気に付き合ってること
時々ある気がします。それは、世界…というより、その場の世間と自分を
何も考えずにつなげてしまってるんだと思います。そして、ひとりになったとき
猛烈な違和感と「なんだあのインチキくさかったさっきの自分は」という
苦い思いに襲われたり…そういう「まわりの人や世界とつながったふり」を
できぬまま、この手記を書いた人は、殺人によって世界とつながり、
息を吹き返して生き延びてきたんだな、と、共感ではけしてないけれど、
何かそこに至るまでのプロセスは腑に落ちちゃったのです。

そういう意味で、自分が世界と何でどうつながっているか、とか、結構読んだあとも
色々考えてしまう小説です。最後は、手記の中の人々のつながりも、
彼らにとってはベストなんじゃないかなーというところに収束していくので
あとあじがよかったのも以外。

単なる殺人狂の手記をめぐるサスペンス、では、ありません。
世界とつながれない違和感、疎外感を抱えた人のとてつもない孤独と、
それを他者への殺人(つまり世界を壊そうとしたってことなのかな)でなんとか
したくなる心の最悪の癖。

作家の「沼田まほかる」というただならぬ名前すら、どこか不思議な世界に
読者をつないでくれる魔法使いの名前のようにすら、思えました。
by tohko_h | 2011-05-25 23:32 | reading