「ニキの屈辱」山崎ナオコーラ
2011年 08月 22日「ニキの屈辱」 山崎ナオコーラ
23歳の僕は、1歳年下でありながら、すでに
一流女性カメラマンとして世に出ているニキの
アシスタントになった。傲慢で内弁慶な彼女。
いいように振り回されている僕は、それも愛しくて
恋に落ちた。力関係や格差が横たわるふたりの間
に恋愛は成立するのか? あやういバランスの中、
ニキも僕を見つめてくれるようになっていくが…
と、あらすじを書いてもあんまり伝わらないんです、この小説のよさ。
恋をしたことがある人が読めば、まったく同じ経験をしたわけでは無くても
痛点をグッと押しこまれる感じで、心に何かが残るんですよね。
小説を読んでしばらく茫然と何も考えられなくなったの、私久しぶりだった。
前半は、尽くす男と生意気女、と、平成版春琴抄?みたいな感じでお話が
進んでいくのですが、途中で、ニキが彼に振り向いてからが俄然面白く
なります。仕事上の力関係は、ニキ>彼、なんだけど、ニキがだんだん彼を
好きになっていき、ものすごく好きになっていき、恋の方では下剋上みたいに
なっちゃうんですよね。この、先に惚れたものを惚れられた側が最初は
愛し返してるうちに、自分のほうが好きになってた、という逆転現象。
タイミングが良ければ、今まで追う側だった者が「愛される喜び」に浸れて
いいものですが、ピークがすぎると、結構キツいんですよね。
そのタイミングの見逃し方があまりにもありそうな感じで。読んでて「ああ、
こうしてすれ違うんだよなあ」と、かなり胸が痛かった。
誰に感情移入するとかじゃなくて、ひとつの恋がいいものからそうでもない
ところまでランクダウンしちゃうところを目の当たりにした感じが。
たとえば恋愛感情の高低を折れ線グラフにしたとしましょう!
男のグラフが出会った時の値が一番高くてちょっと落ちて、みたいな形で、
女のほうは逆に、相手を知ってぐいぐいグラフが右肩上がり。
一緒によりそうカップルでもそういうのってありえるわけですよね。
というか、完全一致はありえないわけで。
自分以外の誰かを求めるってこと自体かなりある意味無茶なんだよなー。
無茶だからこそ、そういう人に出会った時はいろいろ大変なんだよな。
と、久々に恋愛について真剣になおかつやるせなく思いを馳せた、久しぶりに
涼しい夜の読書でした。
山崎ナオコーラの恋愛のどうしようもないところを美化せずでも汚さずに
描くやりかた、好きです。